会津第九の会

第九アジア初演100周年・むつ初演30周年記念演奏会報告

平成30年12月2日、青森県むつ市において、第九アジア初演100周年・むつ初演30周年記念演奏会が開催されました。
会津第九の会からは合唱14名オケ1名が参加しました。


 

◆参加会員レポート◆

○「むつ市」第九の旅
今年は「交響曲第九番」が、日本で初演されてから百周年ということで、若松で開催された九月の演奏会に「風雅堂」の開館の時以来、二十年ぶりに出演しました。
その時に青森県むつ市の客演者が、12月2日にむつ市で三十年間毎年開催している「第九」に出演すると、打ち上げに「大間の鮪」が食べ放題という話をして来演を募っていました。
ちょっと気を引かれましたが、それよりも会津藩士だった4代前の先祖が配流されたと聞かされてきた「斗南藩」の故地であるむつ市へ、何時かはルーツ探しに行かなければと思っていたのと、600㎞と遠く離れて、土地勘のないなか中々行けないので、渡りに船と行くことにしました。
12月1日土曜日の朝、八戸・野辺地を過ぎ大湊線の列車が海岸沿いを走ると、折からの吹雪混じりの天気の中、イギリスのヒースの丘を見るような荒涼とした景色が続きます。
ところが、むつ市の玄関口の下北駅は小綺麗な駅舎をしており、宿泊する駅前の「プラザホテルむつ」は4階角部屋のツインで眺望満点、ヒバの木製浴槽でした。近くに見える釜伏山は恐山山地の前山で、大湊に上陸した会津藩士は、海を猪苗代湖に山を磐梯山に見立てたとのことです。
次の列車で到着した女性陣と合流し、会場の下北文化会館にリハーサルに出かけました。会場に入ると、広いピロティーが有りクリスマスツリーが飾られています。
リハーサル室には中学生から高齢者まで数十人が集まっていました。発声練習で面白かったのは、「愉快に歩けば」を歌っていたことです。私事になりますが、20世紀のオリンピックの頃小学生だった私は、ビクター少年合唱隊(現東京FM少年合唱団の前身)で、故北村協一先生に当時の児童合唱団にとっては5分以上と大変長かった第九を習いました。この隊が夏期合宿で宿舎から練習場に行くときに、いつも歌っていたのがこの歌で、そのときの様子を思い出しました。
共演の青森交響楽団との音合わせをしたホールは、6万人弱の人口の市としては大変立派で、当市の風雅堂より舞台裏の両袖が広く、音の響きも素晴らしいものでした。
夕方から開かれたプラザホテルでの前夜祭では、50㎏以上もある生本鮪の解体ショーが有り、地元民でも余り食べられないせいか長い行列が途切れず、やっとのことで食べた身は生臭みは皆無で、口中で油が溶けていくのが分かりました。また、宴会で披露された盆踊りの「おしまこ流し踊り」の振り付けは、会津磐梯山踊りと大変似ていました。
2日の本番では客席はほとんど満員で、30代の若手市長も出演し、毎年開催しているためもあって市民に親しまれている様子を強く感じました。
その夜のうちあげはむつ市と会津の第九の会だけと人数は減りましたが大変打ち解けた時を過ごしました。2次会に向かった市内のスナックでは、地元出身のソプラノソリスト・立原ちえ子さん達と一緒になりました。話の中で、立原さんの先祖にも会津藩士がいることや調布市の柴崎に住んだことがあるなどが分かりました。
今回私が第九を歌おうと思ったのが、松江豊寿と私の一族の浅からぬ縁によるからです。
というのは、明治時代に会津中学出身で台湾総督府に入庁した大叔父の中学の先輩が、豊寿の弟の松江春次で、台湾で歓迎会を受けたこと。また私の育ったのは狛江町(現狛江市)の松江豊寿終焉地のそばを流れている野川の上流の深大寺の近くだったが、親戚が松江と同じ町内に住んでいたりしたこと。そして、江戸時代の松江家は若松の御薬園の管理者だったが、明治以降は私の親戚の野出一馬が管理をしていたことなどがあったからです。
最終日の3日の下北半島観光では、念願の斗南ヶ丘を訪れました。現在は往時の面積の数十分の一しかありませんが、高祖父の母親や弟一家がいた地だと思うと言葉も出ませんでした。
昭和11年10月に秩父宮と勢津子妃が立ち寄られたのを記念した巨大な「秩父宮両殿下御成記念碑」が、昭和3年のご成婚によって朝敵の汚名を晴らされた旧会津(斗南)藩士の喜びを伝えています。その後下北半島北東の尻屋崎に向かいましたが、灯台には通行止めで行けず、寒立馬をチラッと見ただけで終わりました。また再訪してもっと多くの遺跡を回ろうと考えています。
[会員 勝田]

 

○「出会い むつ市の方々と」
「大間の鮪、食べに行くべ」の声につられむつ市の第九演奏会に行きました。
演奏終了後、打ち上げの折にたまたま私の名字が「島影」というので何人かの方がこられ、「斗南会津会」の事やむつ市に現に嶋影という方がおられることを、話してくれました。更に東奥日報社の特集記事「斗南藩 苦難を越えて」の何週間分ものファイルをホテルまで持ってきてくださったり、又、別な人は嶋影さんの電話番号を調べてくれました。 帰宅して早速嶋影さんに電話致しました。
今は斗南に残っている会津藩の子孫で唯一残った一軒だという事、過酷な暮らしを耐え抜いてきた父祖の地を守ろうと頑張っていることなどを話されました。いつの日かお会いしたいものです。
第九の縁でむつ市の方との縁ができました。このようにむつの方々の優しい気持ちに触れ、会津とむつの歴史に思いを寄せた第九の旅になりました。
[会員 島影]

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